2021年 8月「あがないの主、 平和の君」
(イザヤ書48章17節 )
8月 の 標 語
旧約聖書は、神様を「主」(主人、支配者)と呼び、「君」、つまり「王の中の王」と称えます。民族の争い、領土の奪い合いが日常茶飯事だった時代ならではの呼び名です。そこで「平和」(シャローム)こそ、争いに終止符を打つ「まことの王」の業と考えられています。
そんなシャローム≠ノは原風景があります。天地創造の時、生きとし生けるもののいのち≠見て「良しとされた」、あの想いです。そして、このいのち≠ェ脅かされる時、ご自身どんな犠牲を払ってでも、神様はこれを守る― 。
この決意が、聖書独特の言葉=《贖い》にこめられています。そもそも律法の定めの一つで、「誰かが奴隷となった場合、その親戚たちがお金を出し合って買い戻すべし」という義務でした。
それが「誰かが解放されて自由の身になるなら、自分は喜んで損をする」という生き方を指すようになり、ついには自ら十字架にかかった救い主へ―まことのシャローム≠もたらす贖いの業は、今や私たちに託されているのです。