(2024年 4月の標語)

「 聖なる公同の教会を信ず 」

(使徒信条より )

  聖日礼拝ごとに読まれる「使徒信条」にある言葉です。教会(私たち)の信仰が、自分の声と周りの人たちの声が一つになって言い表され、礼拝堂に響きます。

  こうした信仰の告白は、規定や制度ではありません。むしろ、「二人、または三人が、キリストの名によって集まっている所」であれば、どこであろうと駆けつけ、共におられるという、「インマヌエルの神」を信じる者の群れ。それが、世界に何千何百あったとしても、それを貫く普遍的な教会=「公同の教会」の礎なのです。

  ですから「聖なる」と言っても、教会は聖人の集まりではありません。誰かの、大きな声だけが響くのではありません。どんなに小さな声でも「聖なる公同の教会を信ず」と心合わせる者たちを「聖」、つまり神様が取り分けた、特別な存在としてくださるのです。

  《そこではもはや、ユダヤ人もギリシア人もなく、奴隷も自由な身分の者もなく、男も女もありません。あなたがたは皆、キリスト・イエスにおいて一つだからです。》              (ガラテヤ3の28)