2021年 10月「いつくしみに生きる」
(詩編18編26章〜27章 )
10月 の 標 語
「慈しみ」は、キリスト教でもなじみ深いひと言です。詩編23編の「主はわが牧者」や、あの賛美歌「いつくしみ深き」がすぐに思い浮かぶかもしれません。また日本人にとっては、仏教の「慈悲」と重なるので、ごく自然に受け入れられるところがあるかもしれません。
ただ、聖書をひもとくと、ほとんどが旧約。新約にはごくわずかしか出てきません。旧約も大半が詩編で、その多くは、いわゆる裁きの言葉なのです―主に逆らう者の中から、主に頼る者を見分け、慈しみを与える、と。すると、問われるのは信仰、慈しみはその報い……ということになってしまいますね。
しかし、これを読み替えたのがイエス様でした。旧約聖書の原点にある《慈しみ》と《憐れみ》は、神様の一方的な愛。罪深い(的外れな)人間だからこそ、恵みを与え、祝福し続けるのだ、と
《慈しみに生きる》―じつは詩編も、繰り返しそう語っているのです。私たちは例外なく、誰もがこの「神様の覚悟」によって日々生かされているのです。