「 霊のうごめき」

(創世記1章2節)

(1月の標語)

  クリスマスを経て、私たちはイエス様が到来された喜びを深く味わっています。ともすると、この平安のうちにとどまっていたいと思うことも… 。しかし、クリスマスは到着ではなく、出発なのです。
なぜなら、イエス様の誕生は、残忍な幼児虐殺が象徴するように、暗闇の中にともった、小さな光だったのですから。でも、そこには、確かな神様の初動"がありました。

《地は混沌であって、闇が深淵の面にあり、神の霊が水の面を動いていた》

―と創世記は、世ができる前に、神様がすでに何か働きかけていたと伝えます。これから天と地を造られるだけでなく、この世で、それこそ、うごめくようにして生きることになる人間と、「どこまでも共に在ろうとする」かのように… 。 世に来られたイエス様もまた、新しい契約に向かう神様の初動"だったのではないでしょうか。「うごめく霊」の働きかけを受けて、イエス様は、いよいよ福音を伝え始めます。そして、この「霊のうごめき」は、私たちそれぞれの新しい出発の前夜≠ナもあるのです。
世に来られたイエス様もまた、新しい契約に向かう神様の初動≠セったのではないでしょうか。「うごめく霊」の働きかけを受けて、イエス様は、いよいよ福音を伝え始めます。そして、この「霊のうごめき」は、私たちそれぞれの新しい出発の前夜≠ナもあるのです。
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